Newsletter vol.36 論語と算盤とSDGs⑨ <ベンジャミン・フランクリン>
豊島 敦
2023年、日本製鉄はUSスチールの買収を発表した。北米市場での競争力強化、世界第3位の粗鋼生産体制の構築を目指す動きだったが、米政府は国家安全保障の観点から合併に慎重な姿勢を示し続けた。「鉄は国家」という言葉に象徴されるように、USスチールは長らく米国資本主義の象徴的存在であり、日本企業による事実上の救済合併には、米国側に感情的な抵抗もあったと見られる。本連載ではこれまで、「日本」資本主義の父であり、1万円札の肖像になった渋沢栄一の『論語と算盤』をテーマとしてきたが、今回は「アメリカ」資本主義の父であり、100ドル紙幣の肖像にもなっているベンジャミン・フランクリンを取り上げたい。
ベンジャミン・フランクリンは1706年、ボストンでイギリス移民の家庭に生まれた。石鹸・ろうそく職人である父の15番目の子で、家庭は決して裕福ではなく、10歳で学校を辞めた後は、兄の印刷所で徒弟として働くことになる。厳しい修業の期間も時間を見つけては読書に没頭し、独学で様々な知識を身に付けた。17歳でボストンを離れ、フィラデルフィアに移住した後、印刷業を起業し実業家として成功をおさめている。1732年26歳の時に自ら執筆・出版した教訓や諺付きの暦『貧しいリチャードの暦』は人気を博し、以降25年にわたり毎年1万部を超えるベストセラーとなった。その後も1747年の著書『若き職人への助言』には、「時は金なり(Time is money)」をはじめとした実利的な格言が数多く記されている。フランクリンはまた、図書館や消防団、病院、大学、気象観測所、保険制度、街灯など、現代の公共サービスの原型を次々と創設した起業家、科学者、発明家でもある。雷の電気的性質を証明した凧の実験はあまりにも有名だが、避雷針や遠近両用眼鏡の発明も彼の功績である。アメリカ独立戦争では外交官としてフランスの支援を取り付け、独立宣言の起草にも関与した。そのため「アメリカ建国の父」とも称されている。
現代のアメリカ資本主義といえば、ウォール街に象徴されるマネーゲームの印象が強いが、フランクリンの時代は、今と全く異なる様相を呈していた。身分制社会のヨーロッパを離れた清教徒たちが、新天地で勤勉・誠実に働き、経済発展を遂げて独立と自由を獲得した時代である。フランクリンは、貧困から這い上がり、実業家、科学者、政治家と多方面で活躍した「アメリカンドリーム」の体現者だった。その偉人伝は明治初期に日本でも子供用の道徳の教科書に翻訳され、広く知られるようになった。その翻訳者はなんと福沢諭吉である。のちに自らも偉人となる福沢が、フランクリンと並び日米の最高額紙幣の顔になるとは、当時は想像もしなかっただろう。
第4回で紹介した啓蒙書『西国立志編』(中村正直訳)でも、努力によって成功をつかんだ象徴として、フランクリンは繰り返し登場する。冒頭の「天は自ら助くる者を助く」という言葉も、『貧しいリチャードの暦』に由来する一節である。また『西国立志編』には、「偉人の著作を読んで、偉人の行いを手本にするように」との一節があるが、ここでも、良書に学び先人の行いから多くを学んで成功した人物として、フランクリンが紹介されている。明治20年にはフランクリン自身の著作である『フランクリン自伝』も翻訳された。文明開化の時代、『西国立志編』に触発された向上心あふれる青年たちは『フランクリン自伝』も読んだことであろう。『フランクリン自伝』では、フランクリン自身が若い時から自己修養のために実践した「13の徳目」が紹介されている。
フランクリンの13の徳目(筆者抄訳)
1. 節制:食べ過ぎず、飲み過ぎない
2. 沈黙:無益なおしゃべりをせず、有益な会話に努める
3. 規律:物を定位置に置き、時間通りに行動する
4. 決断:やると決めたら実行する
5. 節約:浪費を避け、有意義なことにお金を使う
6. 勤勉:怠けず、時間を活用する
7. 誠実:欺かず、正直である
8. 正義:他人に不利益を与えず、義務を果たす
9. 中庸:極端を避け、怒りを慎む
10. 清潔:身体や環境を清潔に保つ
11. 平静:小事に動じず、避けられぬことに乱されない
12. 純潔:節度ある性の在り方を守る
13. 謙譲:キリストやソクラテスに倣って謙虚に生きる
これら13の徳目と報徳思想の4つの柱「至誠、勤労、分度、推譲」、また少年時代に貧しく働きながら勉学に励んだというエピソードには、二宮尊徳と通じるものがある。「論語(儒教)」と「キリスト教」という宗教的背景の違いはあるものの、そこを超越した、人として大切にすべき道徳・倫理・勤勉を重視し、経済的成功と結びつける考え方も共通している。二宮尊徳の影響を受けた明治初年の起業家達は、フランクリンの思想も相矛盾せずに受け入れたことであろう。こうした考え方は、決して古びたものではなく、むしろ、SDGs(持続可能な開発目標)という形で、今ふたたび世界が求めている価値観である。利益の追求だけではなく、公共への貢献、倫理的な判断、長期的な視野といった資質こそが、これからの企業や個人にとっても重要な指針となる。
SDGsというととかく、17の目標が目的化してしまいがちであるが、フランクリンの13徳目は、単に道徳的な行いを奨励するのでなく、むしろ、商売をより上手くまわしていくための手段としてとらえられている。だからこそ、功利主義的なアメリカで、資本主義の父と言われるのであろう。
冒頭のUSスチールの買収であるが、最終的に米政府は「黄金株」の取得を条件に承認した。これは、重要議案に対する拒否権を保つことで、国家的影響を回避しようとする措置である。USスチールは1901年、銀行家J.P.モルガンと鉄鋼王カーネギーらによる製鉄所の大合併で誕生し、当時、世界最大の企業となった。一方、日本製鉄は同じ1901年、官営八幡製鉄所として創業し、欧米に追い付くべく急ピッチですすめられた日本の産業近代化を牽引してきた。120年余りの時を経て、日本製鉄が、生産効率、技術力の劣るUSスチールを救済する側となった。こうした歴史的背景を顧みると、トランプ政権が「日本製鉄の米国への投資を歓迎する」と強弁したくなるのもうなずける。

【参考文献等】
・平川祐弘「進歩がまだ希望であった頃-フランクリンと福沢諭吉-」講談社学術文庫
・金谷俊一郎「現代語訳 西国立志編」PHP出版
・株式会社フランクリンジャパン https://www.franklinjapan.jp/raiburari/topics/others/777/
豊島 敦 (Toyoshima Atsushi)
株式会社アスカコネクト 顧問
新卒で全国信用金庫連合会(現 信金中央金庫)に入庫、おもに投融資業務に携わる。1997年~2002年ニューヨーク支店にて、北米クレジット投融資、ストラクチャードファイナンス投資などを担当。その後、ニューヨーク駐在員事務所長、名古屋支店長、法人営業推進部長、中小企業金融推進部長を歴任。2021年理事に就任、2024年6月退任。現在は常勤の他、株式会社地域金融研究所 特別顧問、クオンタムリープベンチャーズ株式会社 アドバイザー、 及び Tranzax株式会社 顧問を務める。
W.P. Carey School of Business , MBA