Newsletter vol.24 社長が博士課程の学生になると何が起こったか⑩
長沼 恒雄
2016年4月に東北大学大学院情報科学研究科博士後期課程に入学した。入学までの経緯は(5)・(6)に書かせてもらった。社長業もしながら、人生で初めての研究生活が始まった。
取り組んだ内容は「機械の故障予測と不良品発生の原因推定」である。いずれもアスカの工場で生産性向上を阻害している課題を解決するためのものであった。この研究では工場で取得された膨大なログデータを使用した。
研究の詳細はニュースレターの趣旨とは異なるので、どのような環境で研究を進めたのかの話をしたい。私の自宅は本社のある兵庫県加東市、大学は宮城県仙台市にある。アスカには宮城県加美町にも工場があり、以前から毎月3~4日間出張をしていた。この工場は得意先の要請もあり、父が1978年に建設したのがはじまりである。私がアスカに入社して最初に働きだしたのもこの工場である。その後、関東以北の得意先も増え、それに伴い生産能力を拡張してきたが、手狭になった。違う場所に生産拠点が必要になり、県外も含め多面的に立地を検討した結果、同じ町内の工業団地に新工場を建設することにした。新工場建設と研究時期が重なり、宮城県の出張は多忙であった。
博士後期課程では学生が集まる授業は少なく、授業の中心は自分の課題(研究)の取り組んだ内容を指導教授(橋本先生)に報告し、1対1で指導してもらうというスタイルであった。特に社会人学生の場合は仕事があるので、このようなやり方になる。私は月1回の出張を利用して、先生の研究室で指導を受けた。研究報告をもとに指導を受ける、その指導をもとにまた一ヶ月自分で研究を進める、結果を報告し指導を受ける、という繰り返しのルーティンが出来上がった。なんでもそうだが、長い時間をかけて取り組む仕事はペースメーカーみたいな仕組みの構築が重要だと思う。
研究時間は平日の夜や週末をあてた。特に週末はまとまった時間がとれるので会社のオフィスに朝から晩まで閉じこもってやった。孤独感もあったが、それよりも静かな空間で雑念を取り払い、深く物事を探求できる時間は貴重であり、有意義でもあった。
最初の査読(1)付き論文は「型締装置の異常検出」で2018年6月に日本機械学会に提出して、2019年3月に受理された。研究を開始してから、3年が経過していた。この論文を書きながら、その内容を工場のシステムに実装した。その結果、予知保全ができるという意識がアスカ社員に根づき、皆がログデータの重要性を認識することにつながった。
大学へ行った自分の目的を達したし、そもそも博士の学位取得をゴールにはしていなかった。入学の動機であった課題解決のための論文も仕上げた、年齢も60を超え、体力的にもしんどい。新工場建設のことなどもあり、仕事も忙しいので退学しようかと考えていた。
橋本先生の研究室は青葉山キャンパスにある。地下鉄仙台駅から10分ほどで、青葉山駅に到着する。キャンパス内の駅から、緑が続く歩道があり、特に新緑の季節にこの道を歩くと気持ちが良い。このアップダウンのある道を晴の時、雨の時、雪の時に10分ちょっと歩くと先生の研究室にたどりつく。この道を毎月通ったが、いつも歩いていると「やらぬ後悔よりやる後悔」という言葉が頭の中に浮かんだ。その時の景色と感情は、今でもはっきりと記憶している。
結局、私は研究を継続する道を選んだ。その理由を次号でお話したい。
(1)査読
査読とは、研究者が研究を「論文」にまとめて、その論文を「学会誌」に掲載されるために、まずその学会誌に論文を投稿します。そしてその論文データは編集委員会から「査読」に回されます。査読は、著者と同じ分野の研究者に論文の内容を評価してもらうことです。学会誌に研究成果を載せる価値があるかどうかの判断や内容の批評をしてもらいます。そして、査読を通過した論文が学会誌に掲載されます。通過するには、論文の内容に矛盾がなく、雑誌に掲載して多くの人に見てもらう価値があり、規定の水準をクリア していなければなりません。 掲載される論文の質が学会誌の信頼性を決定するのです。そのため、掲載する論文の質を一定以上に保つ目的で査読が行なわれます。
(引用:https://www.soubun.com/journal/査読付き論文とは?探し方や見分け方についても/)
長沼 恒雄
株式会社アスカコネクト 取締役、博士(情報科学)・MBA
アスカカンパニー株式会社の代表取締役 兼 CTO、加東市商工会副会長。
大学を卒業後、株式会社サクラクレパスで品質管理を担当。その後、父親の経営するアスカカンパニー株式会社に入社し、アメリカの現地法人社長などを経て、2代目の後継者として約20年間社長として会社を牽引。現在は3代目である弟の長沼誠に社長をバトンタッチ。