Newsletter vol.32 論語と算盤とSDGs⑤ <岡田良一郎>
豊島 敦
2022年、岸田政権は日本経済の成長と国際競争力の強化を目指し「スタートアップ育成5か年計画」を策定した。「新しい資本主義」の実現を掲げ、官民ファンドの活用や大学発ベンチャーへの支援強化を目的とする総額10兆円規模の投資を行っている。筆者はベンチャーキャピタル(VC)のアドバイザーも務めているが、日本のスタートアップ投資は米国に比べて規模が小さく、エコシステムも未成熟な段階にあると言わざるを得ない。特に、リスクマネーの供給不足、エンジェル投資家やベンチャーキャピタル(VC)自体の育成が必要と感じている。
こうした現状の日本ではあるが、かつて、スタートアップ育成や産業振興のための金融の仕組みを、世界に先駆けて構築した歴史を持っていることをご存知だろうか。幕末に二宮尊徳が考案した「五常講貸金」という相互扶助の金融制度がある。これは下級武士や農民が資金を融通し合う仕組みであるが、大きな特徴はそれまでの個人の資金を貸す「個人金融」から、みんなの資金をみんなに貸す「団体金融」へ転換させた点にある。この「五常講貸金」から資金を借りるには、以下5つの徳を守れることが条件とされた。
仁:金に余裕のある人がない人に金を差し出すこと
義:借りた人は約束を守って間違いなく返済すること
礼:借りた人は、貸してもらったことに感謝する
智:金を借りたら一生懸命に働いて、どうしたら 早く返済できるか努力工夫する
信:確実に約束を守ること
二宮尊徳の藩政改革を研究している経済学者の平池久義氏は五常講を『人の心を担保に金を貸すシステム』と紹介している。[i] 現代のマイクロファイナンスの先駆けともいえるだろう。この「五常講貸金」の理念をさらに近代化・組織化させたのが、尊徳の直弟子である岡田良一郎である。岡田は、近代的な協同組合金融を確立し、日本における地域金融の礎を築いた。
岡田良一郎は、遠州の資産家、報徳思想の信奉者であった岡田佐平治の長男として生まれ、16歳の時に二宮尊徳に弟子入りする。岡田家では報徳思想で唱える「推譲」(余裕のある者は他者に譲る)の精神に基づき、一家の資金を農民や小規模事業者に貸し付け、地域の産業振興を支援していた。しかし、報徳思想を学び故郷に戻った良一郎は、より一層の産業振興のためには、岡田家の資金だけでなく、五常講と同じように「社会のお金」を皆に貸す仕組が必要であると考えた。そのためには地域の富裕層から産業振興に理解のある「慈恵的」な資金を集めることが重要であるとした。これは、現代のスタートアップ投資におけるエンジェル投資家の役割と同じ発想である。富裕層がリスクを取って起業家を支援することで、新たな産業が生まれ、地域経済が活性化する。岡田は、地域の富裕層が単なる資産運用ではなく、社会的責任を果たしながら産業振興に貢献できる仕組みを作ろうとした。
当時の日本政府は、欧州の協同組合制度を参考にしながら法律の整備を進めていたが、岡田は法整備を待たず、1892年(明治25年)に掛川信用組合(現在の島田掛川信用金庫)を設立した。これは、日本初の協同組合型金融機関であり、農民や中小事業者が低利で融資を受けられる画期的な仕組みであった。岡田の取り組みに促される形で、1900年(明治33年)には産業組合法が制定され、協同組合金融が正式に制度化された。さらに、この仕組みは、戦後、信用金庫や農協の制度へと発展した。現在、信用金庫は全国254金庫、北は稚内から沖縄まで、預金量は400億円代から5兆円超までと規模の大小はあるものの、信用金庫の総預金量は約160兆円とメガバンク一行と匹敵する規模となっている。
更に興味深いのは、明治政府が模範とした欧州の協同組合型金融システムも、現在もなお力強く機能している点である。例えば、ドイツでは700以上の協同組合銀行がDZ銀行という中央組織のもとでグループを形成しており、その総資産は商業銀行最大手のドイツ銀行を上回る規模となっている。また、フランス版の農協ともいえるクレディ・アグリコルは、農業金融を基盤に商工業金融、国際金融へと事業を拡大し、欧州第3位の資産規模を誇る金融機関へと成長した。農業は環境の影響を受けやすいためであろう、持続可能性への意識が高く、現在では、再生可能エネルギーや環境保全分野への融資を強化し、サステナブル投資の分野で世界をリードする存在となっている。協同組合型金融機関の特徴は、短期的な利益の最大化を追求するのではなく、地域経済の長期的な安定と発展を重視する点にある。欧州の商業銀行が米国に進出し、リーマンショックなどの金融危機の影響を受けて事業縮小を余儀なくされたのとは対照的である。
最後に、岡田良一郎が1912年(明治45年)に掛川信用組合を退任する際に残した言葉を紹介したい。
「道徳を根とし 仁義を幹とし 公利を花とし 私利を実とす」
岡田は、道徳と仁義を根幹とし、まず公の利益を優先することで、結果的に私益も実るという信念を持っていた。道徳と仁義は、現代のビジネス用語で言えば、企業倫理やコンプライアンスであろう。CSR(企業の社会的責任)やSDGs(持続可能な開発目標)の理念とも合致する。明治の先人たちの想いを受け継ぎ、利益をあげている信用金庫は、「推譲」の精神でリスクマネーを供給し、起業家育成に向けた投資を進めてもらいたいものである。

掛川の大日本報徳社正門
(道徳門と経済門)
岡田左平次、良一郎親子が初代、2代目社長を務めた。現在は、公益社団法人化され、報徳思想の普及活動を行っており、二宮尊徳信奉者の「聖地」ともなっている。
[i] 平池久義「小田原藩における 二宮金次郎の藩政改革(中) 組織論の視点から」
下関市立大学創立50周年記念論文集(2007.3)https://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/sc/1472/files/140460
【引用・参考文献等】
・平池久義「小田原藩における 二宮金次郎の藩政改革(中) 組織論の視点から」下関市立大学創立50周年記念論文集(2007.3)
・長谷川直哉「報徳思想と企業倫理」日本経営倫理学会誌 第15号(2008年)
・「報徳と島田掛川信用金庫」https://www.sk-shinkin.co.jp/profile/houtoku/
豊島 敦 (Toyoshima Atsushi)
株式会社アスカコネクト 顧問
新卒で全国信用金庫連合会(現 信金中央金庫)に入庫、おもに投融資業務に携わる。1997年~2002年ニューヨーク支店にて、北米クレジット投融資、ストラクチャードファイナンス投資などを担当。その後、ニューヨーク駐在員事務所長、名古屋支店長、法人営業推進部長、中小企業金融推進部長を歴任。2021年理事に就任、2024年6月退任。現在は常勤の他、株式会社地域金融研究所 特別顧問、クオンタムリープベンチャーズ株式会社 アドバイザー、 及び Tranzax株式会社 顧問を務める。
W.P. Carey School of Business , MBA