Newsletter vol.25 社長が博士課程の学生になると何が起こったか⑪
長沼 恒雄
最初の査読付き論文が受理され、研究成果もアスカの工場内で実装したので、一区切りがついた。当初の目的は達成したので、大学をやめても良かった。
一方で3年間にわたり、橋本先生とディスカッションしながら、研究指導を受けることが面白くなってきた。そもそも、先生とは入学前からのお付き合いがあったし、先生のほうが年下ということもあり、丁寧な応対をして頂けた。別の言い方をすると、お互いなんとなく気が合ったので、遠慮なく議論することにより、私自身に多くの気づきが得られた。仕事では得られない貴重な経験でもあった。だから、研究を続けることを選ぶことができた。
続けるということは、会社にさらなる研究成果をフィードバックすることは当然であるが、博士の学位を取得するという目標が加わった。学位を取るためには「最低3本の査読付き論文を書くこと」と「博士論文を書き、大学の規定に基づいて学位審査に合格」しないといけない。
先生の指導のおかげで次第に研究の進め方や論文の書き方のポイントがわかってきたので、研究のスピードは上がった。査読付き論文は課題となるテーマをあげて、技術的な思考のプロセスを論理的に記述し、結論を書く。このために技術的側面が重要となる。これに対して、博士論文はそれらの複数の論文を包括的に説明することが重要になる。つまり、自分の研究は既存の研究(先行研究)に新しい知見を加えて新しく考え出されたものであり、他の研究者にも役に立ち(学術的意義)、それが社会にどういう貢献(社会的意義)をするのかということを客観的に示さなければならない。
さらに学位審査では、自身の査読付き論文、学会発表、講演、特許などの業績も重要になる。また、語学の能力を示すために、英語での論文発表も必要となる。博士課程の在籍期間は3年が標準であり、最大7年までと決まっている。社会人の場合は仕事もあるので、3年で修了する人は少ないようである。
5年目が始まった2020年4月に今年度に博士学位審査を受けてみようかと考えて、先生に相談したところ、承諾をもらえた。しかし、先輩たちを見ていると、審査に不合格の人もいるので難易度は高いようであった。論文も書きながら、研究成果も現場に実装していった。私の博士論文の前半は理論、後半は工場で実装した成果、最後に結論という形になった。
2020年12月に審査委員の先生4名が決まり、予備審査を受けた。予備審査は私が研究内容を1時間のプレゼンを行い、先生方からの質疑応答が1時間ある。これがとても厳しい指摘内容で、心身ともにボロボロになった。今、思い起こしてもメンタルが完全にやられて、その晩は眠れなかった。本審査は1か月後の1月中旬、それまでに先生方に指摘された内容をクリアできるように論文を修正して、プレゼン資料も作り直す必要がある。そんなことが可能なのか?それも年末年始の仕事も忙しい時に…
予備審査会でメンタルがやられたが、そこは長年、経営者として鍛えられてきたし、仕事も忙しかったので、回復は早かった。若い時だったら、気持ちが折れて本審査に行けなかったと思う。
1か月間という短い期間で、橋本先生の強力な指導と私の不屈の精神力で予備審査の指摘にもとづいて、論文の構成をやり直し2021年1月21日に本審査を受けた。審査員は同じ先生方で私のプレゼン時間は30分、質疑応答が15分であった。結果は合格をいただいた。
指導教員であった橋本先生をはじめ会社の皆さんに支えられて、2021年3月に5年間在籍した情報科学研究科を修了することができた。この時、すでに64歳になっていた。結果的に私のエンジニア人生としての集大成を博士論文という形で残すことができた。 次回はこの論文でたどりついた結論についてお話したい。
長沼 恒雄
株式会社アスカコネクト 取締役、博士(情報科学)・MBA
アスカカンパニー株式会社の代表取締役 兼 CTO、加東市商工会副会長。
大学を卒業後、株式会社サクラクレパスで品質管理を担当。その後、父親の経営するアスカカンパニー株式会社に入社し、アメリカの現地法人社長などを経て、2代目の後継者として約20年間社長として会社を牽引。現在は3代目である弟の長沼誠に社長をバトンタッチ。