Newsletter vol.22 社長が博士課程の学生になると何が起こったか⑧
長沼 恒雄
前号では、私がアスカカンパニーでのデジタル化初期の80年代から今まで取り組んだ管理系の事例について紹介した。今回は機械制御や生産情報システムの取り組み事例を紹介する。
私が入社した1980年頃の成形機や自動機の電気制御はリレーシーケンスが主流だったので、機械の電気回路は配線図を読んだり、制御ボックスの中で配線をしながら学んだ。これは、とても複雑でちょっとした機械の動作を変更するだけでも、物理的に配線をやり替えないといけなかった。ところが、同時期にPLCというデジタルで機械の動作を制御する装置が普及しだした。簡単に言うと、機械の動作をプログラムに書けば良い。動作を変更したければ、プログラムを変更するだけで機械の配線は変更しなくて良い。
1980年代後半にグリコグレープフルーツゼリー(GFD)の容器を開発した。容器の開発コンセプトは「本物のグレープフルーツを半分に割った形にせよ」であった。成形品が2つのパーツで、外カップ(黄色)と内カップ(白色)から成り、超音波で溶着するという容器である。(写真1,2)
容器の開発チームリーダは私が担当した。リーダーと言っても、金型や機械の設計はもちろん部品加工から、自動溶着機の製作まで何でもやった。もちろんPLCで制御するのだが、PLCの技術進化もすさまじく、この頃には、PLC同士の通信による制御や機械の稼働状況をディスプレイ上で表示することも可能になっていた。GFDの発売時期も決まっていたので、集中してこの仕事に取り組んだ。とても苦労をしたが、私自身の電気制御技術のスキルアップに役立った。何よりも、若くして(30歳前後)複雑な容器のデザインから量産化まですべての開発プロセスに関わった経験は、私の宝物になった。
次に生産情報システムの構築の事例の紹介をする。弊社の主力生産機械は成形機である。成形機の運転情報(ログデータ)は1980年代前半には光ファイバー経由で取得が可能であった。当時は多数の成形機をリンクして、それらのデータを記録、保管、表示するハードやソフト開発のハードルが高く、出来たとしても高額な投資が必要なため断念をした記憶がある。2000年代に入ると、コンピュータ技術の進化により、成形機メーカーからネットワーク接続ができるソフトウェアなどの販売が本格的に始まった。
ヨーロッパでは成形機やその周辺機械の通信規格(Euromap)(1)が定められており、機械メーカーが違っても市販のソフトでネットワークが容易に構築できる。しかし、日本にはそのような統一規格はなく、違うメーカーの成形機を同じネットワーク上につないでログを取るためには専用のソフトを開発する必要があった。アスカカンパニーでは3社の成形機を採用していたので、20年ほど前に現場のニーズも聞きながら自社開発することをはじめた。それから長年かけて進化させて、現在では成形機以外の2次加工機の運転データも取得し、リアルタイムで現場にフィードバックしている。社内ではこのシステムをMiS(Machine information System)と呼んでいる。
近年、日本での製品の外観要求品質が厳しくなってきた。弊社の場合、数量の多い成形品は1日に10万個以上生産するものもある。その中で1個でも外観に異常(キズ、異物、色むらなど)があれば、顧客よりクレームがある。これを解決するには、全数カメラで外観検査をするしかない。
カメラで製品外観検査をする技術はすでに1980年初頭にはあり、弊社でも使ったことがある。しかし、解像度、処理速度、照明、コストなどに課題があり、本格的に現場に投入することができなかった。現在、弊社の生産現場では200台ほどの製品検査用カメラが稼働している。 次回はカメラ導入から、現在どのように使われているかをお話したい。
(1)Euromap
欧州プラスチック加工機械製造者協会(European Association for Manufacturers of Plastics Processing Machinery)は、プラスチックのプロセスマシンのインターフェースの要件を規格化しました。以来、ロボットとその他の処理装置は標準インターフェースで接続できるようになりました。これによってユーザーは、機械や施設を設計する際に、信号・データ用インターフェースが適合するという保証が得られます。
(引用:https://www.harting.com/JP/ja/node/194)
長沼 恒雄
株式会社アスカコネクト 取締役、博士(情報科学)・MBA
アスカカンパニー株式会社の代表取締役 兼 CTO、加東市商工会副会長。
大学を卒業後、株式会社サクラクレパスで品質管理を担当。その後、父親の経営するアスカカンパニー株式会社に入社し、アメリカの現地法人社長などを経て、2代目の後継者として約20年間社長として会社を牽引。現在は3代目である弟の長沼誠に社長をバトンタッチ。